張り詰めた空気が支配する最高裁第1小法廷。傍聴席の最前列には、風呂敷に包んだ妻、弥生と長女、夕夏(ゆうか)の遺影を手にした本村洋の姿があった。2人が落ち着くような気がして、自分の胸に向けて抱えた。
【フォト】光市母子殺害「もう忘れたい」と住民 現場に花束
「上告を棄却する」。午後3時2分、事実上の死刑を言い渡す裁判長の声とともに、本村の脳裏には老子の言葉が浮かんでいた。
《天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして漏らさず》。事件を担当した刑事は、ことあるごとにこの言葉を引用し、励ましてくれた。「君の望む判決が出なかったとしても天はきちんと見ている。必ず罰を与える」。あの言葉は本当だったんだ。長い裁判を終えた本村は深々と頭を下げた。「よく頑張ったな」。父に背中をたたかれた。
あの日から約13年がたった。弥生はいつまでも23歳、夕夏も赤ん坊のままだが、本村は35歳になった。
過酷な現実、理不尽な結果に打ちのめされながらも事件を語り続けてきた。判決後の会見で本村は「私は強い人間でも聖人君子でもない」と振り返った。落ち込んだときは、事件現場に足を運ぶ。「自責の念が和らぐことはおそらくない」とも本村は言う。「2人を守ることができなかった」からだ。待ち望んだ判決にも「満足だが、うれしいという感情はない」。被告には罪と向き合い堂々と「そのとき」を迎えてほしいと言った。
3年前、自分を支えてくれた女性と家庭を持った。「事件をひきずって生きるのではなく、前を向いて生きたい」。北九州市に眠る2人には21日、判決を報告する。弥生の結婚指輪で作ったネックレスは死ぬまで外すつもりはない。
◆死を無駄にしない
あの日はいつもと変わらない夜のはずだった。平成11年4月14日。仕事を終えて自宅に帰ると、玄関の鍵が開いていた。「弥生、弥生!」。名前を叫んでも返事がなかった。
押し入れの座布団の中に、冷たくなった妻がいた。夕夏は見つからず、後に警察から遺体が天袋の中で見つかったと聞いた。4日後、逮捕されたのは18歳の近くに住む少年だった。
10代から難病で入退院を繰り返した本村にとって命は、はかなく尊いものだった。娘が生まれた日のことは忘れられない。「パパと私の子供だよ」。弥生から手渡されたわが子には、日本海に沈む夕日のように人を温かく包む女性になってほしい。夕夏と名付けた。
わずか1年7カ月の結婚生活は唐突に終わった。変わり果てた妻を抱きしめることさえできなかった自分を責め続けた。「2人の死を無駄にしたくない」。長くつらい闘いの始まりだった。
■何が正しいのか悩んだ
最高裁での差し戻しを経て、5回の判決という異例の経過をたどった公判。妻子を奪われた本村洋は一貫して極刑を訴え続けたが、この間、ひたすらに走り続けてきたわけではない。被告を死刑とした20日の上告審判決後、本村は会見で率直な胸のうちを吐露した。
「社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいのか、とても悩んだ」
無期懲役とした平成12年の1審判決後、本村は涙で言葉を詰まらせながら「司法への絶望」とともに苛烈な怒りを吐き出した。「被告を早く社会に出してほしい。私がこの手で殺す」
しかし、一つの出会いが本村を変える。
本村は1審後、米テキサス州で死刑囚の男と面会した。「私も家族を奪われた者です」。本村の言葉に死刑囚は涙を流し、「死刑判決を受けて初めて、自分がやったことの重大さを思い知った」と話した。4カ月後、死刑が執行された。
「人の命を奪った者は、命をもって償うしかない」。怒りにまかせた処罰感情ではなく、社会正義としての極刑の必要性を感じた本村は、差し戻し控訴審で被告に語りかけた。「君の犯した罪は万死に値する」
被告の心中を察するすべはない。「絶対的な正義など誰にも定義できない」とも思うという。だが、本村はこう断言した。「人の命について重く考えているということを示すことが死刑だと思う」(敬称略)
元少年に「死」という償いを求め、光市母子殺害事件の裁判は事実上終結した。事件は社会に何を問うたのか、振り返る。
【フォト】光市母子殺害「もう忘れたい」と住民 現場に花束
「上告を棄却する」。午後3時2分、事実上の死刑を言い渡す裁判長の声とともに、本村の脳裏には老子の言葉が浮かんでいた。
《天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして漏らさず》。事件を担当した刑事は、ことあるごとにこの言葉を引用し、励ましてくれた。「君の望む判決が出なかったとしても天はきちんと見ている。必ず罰を与える」。あの言葉は本当だったんだ。長い裁判を終えた本村は深々と頭を下げた。「よく頑張ったな」。父に背中をたたかれた。
あの日から約13年がたった。弥生はいつまでも23歳、夕夏も赤ん坊のままだが、本村は35歳になった。
過酷な現実、理不尽な結果に打ちのめされながらも事件を語り続けてきた。判決後の会見で本村は「私は強い人間でも聖人君子でもない」と振り返った。落ち込んだときは、事件現場に足を運ぶ。「自責の念が和らぐことはおそらくない」とも本村は言う。「2人を守ることができなかった」からだ。待ち望んだ判決にも「満足だが、うれしいという感情はない」。被告には罪と向き合い堂々と「そのとき」を迎えてほしいと言った。
3年前、自分を支えてくれた女性と家庭を持った。「事件をひきずって生きるのではなく、前を向いて生きたい」。北九州市に眠る2人には21日、判決を報告する。弥生の結婚指輪で作ったネックレスは死ぬまで外すつもりはない。
◆死を無駄にしない
あの日はいつもと変わらない夜のはずだった。平成11年4月14日。仕事を終えて自宅に帰ると、玄関の鍵が開いていた。「弥生、弥生!」。名前を叫んでも返事がなかった。
押し入れの座布団の中に、冷たくなった妻がいた。夕夏は見つからず、後に警察から遺体が天袋の中で見つかったと聞いた。4日後、逮捕されたのは18歳の近くに住む少年だった。
10代から難病で入退院を繰り返した本村にとって命は、はかなく尊いものだった。娘が生まれた日のことは忘れられない。「パパと私の子供だよ」。弥生から手渡されたわが子には、日本海に沈む夕日のように人を温かく包む女性になってほしい。夕夏と名付けた。
わずか1年7カ月の結婚生活は唐突に終わった。変わり果てた妻を抱きしめることさえできなかった自分を責め続けた。「2人の死を無駄にしたくない」。長くつらい闘いの始まりだった。
■何が正しいのか悩んだ
最高裁での差し戻しを経て、5回の判決という異例の経過をたどった公判。妻子を奪われた本村洋は一貫して極刑を訴え続けたが、この間、ひたすらに走り続けてきたわけではない。被告を死刑とした20日の上告審判決後、本村は会見で率直な胸のうちを吐露した。
「社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいのか、とても悩んだ」
無期懲役とした平成12年の1審判決後、本村は涙で言葉を詰まらせながら「司法への絶望」とともに苛烈な怒りを吐き出した。「被告を早く社会に出してほしい。私がこの手で殺す」
しかし、一つの出会いが本村を変える。
本村は1審後、米テキサス州で死刑囚の男と面会した。「私も家族を奪われた者です」。本村の言葉に死刑囚は涙を流し、「死刑判決を受けて初めて、自分がやったことの重大さを思い知った」と話した。4カ月後、死刑が執行された。
「人の命を奪った者は、命をもって償うしかない」。怒りにまかせた処罰感情ではなく、社会正義としての極刑の必要性を感じた本村は、差し戻し控訴審で被告に語りかけた。「君の犯した罪は万死に値する」
被告の心中を察するすべはない。「絶対的な正義など誰にも定義できない」とも思うという。だが、本村はこう断言した。「人の命について重く考えているということを示すことが死刑だと思う」(敬称略)
元少年に「死」という償いを求め、光市母子殺害事件の裁判は事実上終結した。事件は社会に何を問うたのか、振り返る。
張り詰めた空気が支配する最高裁第1小法廷。傍聴席の最前列には、風呂敷に包んだ妻、弥生と長女、夕夏(ゆうか)の遺影を手にした本村洋の姿があった。2人が落ち着くような気がして、自分の胸に向けて抱えた。
【フォト】光市母子殺害「もう忘れたい」と住民 現場に花束
「上告を棄却する」。午後3時2分、事実上の死刑を言い渡す裁判長の声とともに、本村の脳裏には老子の言葉が浮かんでいた。
《天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして漏らさず》。事件を担当した刑事は、ことあるごとにこの言葉を引用し、励ましてくれた。「君の望む判決が出なかったとしても天はきちんと見ている。必ず罰を与える」。あの言葉は本当だったんだ。長い裁判を終えた本村は深々と頭を下げた。「よく頑張ったな」。父に背中をたたかれた。
あの日から約13年がたった。弥生はいつまでも23歳、夕夏も赤ん坊のままだが、本村は35歳になった。
過酷な現実、理不尽な結果に打ちのめされながらも事件を語り続けてきた。判決後の会見で本村は「私は強い人間でも聖人君子でもない」と振り返った。落ち込んだときは、事件現場に足を運ぶ。「自責の念が和らぐことはおそらくない」とも本村は言う。「2人を守ることができなかった」からだ。待ち望んだ判決にも「満足だが、うれしいという感情はない」。被告には罪と向き合い堂々と「そのとき」を迎えてほしいと言った。
3年前、自分を支えてくれた女性と家庭を持った。「事件をひきずって生きるのではなく、前を向いて生きたい」。北九州市に眠る2人には21日、判決を報告する。弥生の結婚指輪で作ったネックレスは死ぬまで外すつもりはない。
◆死を無駄にしない
あの日はいつもと変わらない夜のはずだった。平成11年4月14日。仕事を終えて自宅に帰ると、玄関の鍵が開いていた。「弥生、弥生!」。名前を叫んでも返事がなかった。
押し入れの座布団の中に、冷たくなった妻がいた。夕夏は見つからず、後に警察から遺体が天袋の中で見つかったと聞いた。4日後、逮捕されたのは18歳の近くに住む少年だった。
10代から難病で入退院を繰り返した本村にとって命は、はかなく尊いものだった。娘が生まれた日のことは忘れられない。「パパと私の子供だよ」。弥生から手渡されたわが子には、日本海に沈む夕日のように人を温かく包む女性になってほしい。夕夏と名付けた。
わずか1年7カ月の結婚生活は唐突に終わった。変わり果てた妻を抱きしめることさえできなかった自分を責め続けた。「2人の死を無駄にしたくない」。長くつらい闘いの始まりだった。
■何が正しいのか悩んだ
最高裁での差し戻しを経て、5回の判決という異例の経過をたどった公判。妻子を奪われた本村洋は一貫して極刑を訴え続けたが、この間、ひたすらに走り続けてきたわけではない。被告を死刑とした20日の上告審判決後、本村は会見で率直な胸のうちを吐露した。
「社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいのか、とても悩んだ」
無期懲役とした平成12年の1審判決後、本村は涙で言葉を詰まらせながら「司法への絶望」とともに苛烈な怒りを吐き出した。「被告を早く社会に出してほしい。私がこの手で殺す」
しかし、一つの出会いが本村を変える。
本村は1審後、米テキサス州で死刑囚の男と面会した。「私も家族を奪われた者です」。本村の言葉に死刑囚は涙を流し、「死刑判決を受けて初めて、自分がやったことの重大さを思い知った」と話した。4カ月後、死刑が執行された。
「人の命を奪った者は、命をもって償うしかない」。怒りにまかせた処罰感情ではなく、社会正義としての極刑の必要性を感じた本村は、差し戻し控訴審で被告に語りかけた。「君の犯した罪は万死に値する」
被告の心中を察するすべはない。「絶対的な正義など誰にも定義できない」とも思うという。だが、本村はこう断言した。「人の命について重く考えているということを示すことが死刑だと思う」(敬称略)
元少年に「死」という償いを求め、光市母子殺害事件の裁判は事実上終結した。事件は社会に何を問うたのか、振り返る。
【フォト】光市母子殺害「もう忘れたい」と住民 現場に花束
「上告を棄却する」。午後3時2分、事実上の死刑を言い渡す裁判長の声とともに、本村の脳裏には老子の言葉が浮かんでいた。
《天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして漏らさず》。事件を担当した刑事は、ことあるごとにこの言葉を引用し、励ましてくれた。「君の望む判決が出なかったとしても天はきちんと見ている。必ず罰を与える」。あの言葉は本当だったんだ。長い裁判を終えた本村は深々と頭を下げた。「よく頑張ったな」。父に背中をたたかれた。
あの日から約13年がたった。弥生はいつまでも23歳、夕夏も赤ん坊のままだが、本村は35歳になった。
過酷な現実、理不尽な結果に打ちのめされながらも事件を語り続けてきた。判決後の会見で本村は「私は強い人間でも聖人君子でもない」と振り返った。落ち込んだときは、事件現場に足を運ぶ。「自責の念が和らぐことはおそらくない」とも本村は言う。「2人を守ることができなかった」からだ。待ち望んだ判決にも「満足だが、うれしいという感情はない」。被告には罪と向き合い堂々と「そのとき」を迎えてほしいと言った。
3年前、自分を支えてくれた女性と家庭を持った。「事件をひきずって生きるのではなく、前を向いて生きたい」。北九州市に眠る2人には21日、判決を報告する。弥生の結婚指輪で作ったネックレスは死ぬまで外すつもりはない。
◆死を無駄にしない
あの日はいつもと変わらない夜のはずだった。平成11年4月14日。仕事を終えて自宅に帰ると、玄関の鍵が開いていた。「弥生、弥生!」。名前を叫んでも返事がなかった。
押し入れの座布団の中に、冷たくなった妻がいた。夕夏は見つからず、後に警察から遺体が天袋の中で見つかったと聞いた。4日後、逮捕されたのは18歳の近くに住む少年だった。
10代から難病で入退院を繰り返した本村にとって命は、はかなく尊いものだった。娘が生まれた日のことは忘れられない。「パパと私の子供だよ」。弥生から手渡されたわが子には、日本海に沈む夕日のように人を温かく包む女性になってほしい。夕夏と名付けた。
わずか1年7カ月の結婚生活は唐突に終わった。変わり果てた妻を抱きしめることさえできなかった自分を責め続けた。「2人の死を無駄にしたくない」。長くつらい闘いの始まりだった。
■何が正しいのか悩んだ
最高裁での差し戻しを経て、5回の判決という異例の経過をたどった公判。妻子を奪われた本村洋は一貫して極刑を訴え続けたが、この間、ひたすらに走り続けてきたわけではない。被告を死刑とした20日の上告審判決後、本村は会見で率直な胸のうちを吐露した。
「社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいのか、とても悩んだ」
無期懲役とした平成12年の1審判決後、本村は涙で言葉を詰まらせながら「司法への絶望」とともに苛烈な怒りを吐き出した。「被告を早く社会に出してほしい。私がこの手で殺す」
しかし、一つの出会いが本村を変える。
本村は1審後、米テキサス州で死刑囚の男と面会した。「私も家族を奪われた者です」。本村の言葉に死刑囚は涙を流し、「死刑判決を受けて初めて、自分がやったことの重大さを思い知った」と話した。4カ月後、死刑が執行された。
「人の命を奪った者は、命をもって償うしかない」。怒りにまかせた処罰感情ではなく、社会正義としての極刑の必要性を感じた本村は、差し戻し控訴審で被告に語りかけた。「君の犯した罪は万死に値する」
被告の心中を察するすべはない。「絶対的な正義など誰にも定義できない」とも思うという。だが、本村はこう断言した。「人の命について重く考えているということを示すことが死刑だと思う」(敬称略)
元少年に「死」という償いを求め、光市母子殺害事件の裁判は事実上終結した。事件は社会に何を問うたのか、振り返る。
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